私の無慈悲でない神様

なんとなく生きられればそれでもいい

嘘ばっか書くな

私が小学生だったのは一番古くてもう20年くらい前の話になって、もう当時の記憶もだいぶ薄れてきているのが分かる。

実家の自室には母が取っておいてくれた私のファイルやテスト、成績類なんかが残っていて、先日妹と一緒に、気まぐれにそれを開けてみた。

同じ小学校に通っていたので、そこそこ年が離れていてもカリキュラムがそんなに変わっていないのだろう。似たようなテーマの作文が何本かあり、運動会の思い出なんかが共通していた。

 

小学三年生・妹の作文「運動会の思い出」

運動会で、大玉ころがしをしました。

大玉ころがしをしているときはひっしになっていたので、まわりの人のおうえんはぜんぜんきこえませんでした。

けっか発表になりました。

「1い青組!2い黄組!3い赤組!」

黄組(2組)は2いでしたが、大玉ころがしが楽しかったのでまけてもくやしくありませんでした。

 

 

小学三年生・姉の作文「運動会の思い出」

運動会の前の日、ゆめをみました。

私のもっている、うさぎのぬいぐるみがしゃべったのです。

「〇〇ちゃんがね、がんばって1いになるゆめを見たよ」

わたしはそこでハッと目をさましました。ゆめをみていたのです。

しかし、ふしぎと本当にになる気がしたので、がんばりました。

 

 

妹は実話ベースの忠実な話が、姉の私は「夢を見た」「人生を見直すきっかけになった」などというクソほど薄っぺらい嘘ばっかの話が多かった。

思い返せば私は作文に美辞麗句はおろか、ファンタジーベースの嘘ばっかり書く子供だったかもしれない、というのを作文ファイルを見て思い出した。昔で言う「現実とフィクションの区別のつかない」奴だった可能性が高い。ひと昔前のサイトであればブラウザバックで回れ右をさせられている。

なんなら先生に嘘もかなり吐いていた気がする。

 

小4の夏休み、私にとって唯一の祖父であった母方の祖父が死んでそれはそれは悲しんだ。幼い私が泣き崩れる姿を見て泣き出す大人も居たほどだ。これはマジの部分だ。

一方で、祖父が死んだのは夏休みの前半部分で、後半になると寂しさこそ残っているが傷も癒え、手元には例年通りやっていない宿題だけが残った。(例年通りなのがミソでである)

母に例年通りそのことを打ち明けたところ「おじいちゃんが死んで悲しくてできませんでした」と言うのはどうかと提案され、私はそうすることにした。とっくに悲しみが癒えていたにも関わらずだ。

9月1日にそのことを担任へ打ち明けると、気まずそうな顔をして「じゃあ、出せそうなものだけを出してね」と言われた記憶がある。そういう嘘ばっか吐いていた子供だった。

 

例年であれば、烈火のごとく怒りだす母もその年だけは夕焼けを見つめて、どこか寂しそうに笑いながらそう提案していたことを思い出す。

私の母は結構なサイコパス気質なのだが、さすがに実父が死んで悲しいと感じていたのだろう。その年は、夏休みの宿題の件に限ってはまったく怒りもしなかったことを今でも覚えている。どのくらい私の母が寂しかったのかを推し量る証拠材料として、私たち姉妹がねだっても一向に飼う気配のなかったペットを一目惚れで購入したということがある。その年に飼われた犬は、今も我が家で楽しく暮らしている。

 

私はそういう母の長女として育ち、今はこうしてブログに嘘か本当か誰にも分からない話を綴っている。

母さん、嘘ばっか書いて娘は大きくなりました。