私の無慈悲でない神様

なんとなく生きられればそれでもいい

マイスリーもデパスもブロンもインターネットの慈愛の天使も刺さらない陰鬱なオタク

仕事でまあまあな失敗をして先週からずっとへこんでいる。
こういうときはサブスクでランダムに電波ソングを流して*1、気を紛らわせるついでに、いつも聞いている好きな音楽と仕事の記憶と結びつかないようにしているのだが
今一番バズっていると言って全く過言ではないニディガのINTERNET YAMEROを聴いて私の孤独を埋めてくれるものって果たしてなんなのだろうか、とふと思った。

ここでいう孤独を埋めるものとは共感性のことだ。


私は新卒で入った会社が嫌になって速攻で辞めた。
そこに入ってから1ヶ月ほどで鬱っぽい症状が日増しに増えていき、不登校ならぬ不出社みたいな状態だったのだが、病院に行くと「抑鬱状態」と言われるのみで薬もドクターストップも何もかからず、私はそこで初めて「違う。私は社会から逃れる理由を探しているだけで、この毎日陰鬱な気持ちでいるのも自分がそうあれと願っているからだ」と気づいた。
これは世間の社会に出て悩む人への冒涜でもあり、そんな人々を「心の持ちようだ」と苦しめかねない仮病の患者であり、実際会社を辞め転職したらまあまあ毎日キッショい社会に対する拒絶感などは減っていき、そこからコロナが原因でリストラの憂き目に遭うまでは時折逃げつつ社会人ができていたと思う。


要するに西池袋にあるメンクリの医者の判断は極めて正しく、私はうつ病などではなく社会から逸脱することを望んでいるだけにすぎない社会不適合者だったわけである。
私のような社会不適合者からしてみれば、投薬にある段階であなたはそうならざるを得なかっただけで、真の社不とは理由なく社会からの逃亡を望む私のようなものである、だからそんなふうに思わなくていい、と思うのである。

逆に言えば私は運がいい。私は同じ大学で仲の良かった友達が5人くらいおり、カミングアウトされただけでも3/5が鬱病適応障害で服薬・療養中である*2
彼氏も社会人として働いて見事に鬱病を患って療養中だ。
彼女たちの苦悩を知っているからこそ私は運がいいと自分で言える。クソみたいキショい社会のせいで患った病に苦しめられずに治療のため金を払うこともなく過ごせているのだから。

 

会社に向かう道すがらに聴いた「INTERNET YAMERO」を聞いて、この曲は投薬治療中ならブッ刺さってそこを心の拠り所とできたのだろうな、と思った。
この曲の歌詞で刺さるのはインターネットのオタクであることくらいで、私のこの仕事の失敗と社会からの逃げたさみたいなのは超てんちゃんは救ってくれず、オタクであることだけを肯定されて、ただ陰鬱なだけなのである。

私の手元にはオーバードーズできるマイスリーデパスもましてやブロンを大量に購入する勇気もなく、慈愛の天使の魂の叫びは刺さらず、果たして私は陰鬱に拠り所だけを求める亡霊となった。
仕事の失敗というごくありふれた現実からの逃避を望むだけの私は亡霊というには少しおこがましいかもしれない。なぜなら私は、インターネットのオタクなのだ。

*1:ヒーリングミュージックだとtillってしまい考える時間が増えるため

*2:ちなみに私含め全員新卒後に入った会社を各々の理由で辞めるハメになっている

感性の信頼できない語り手

皆さんは自分の感性を信頼できるだろうか?

私ははっきりと「イエス」と言える。

 

いわゆる「打ち切り漫画愛好家」「B級映画愛好家」はなろうと思えばいつでもなることができる。切り口が鋭く、面白い解説や紹介をする人はこの世に何人もいるし、何より気を抜いて楽しむことのできるジャンルなので非常に入り口が広いように思える。

私自身もそのテの人間のうちの一人なのだが、私の場合はなるべくしてなった、と言うほかない。

 

子供のころから、打ち切り漫画ばかりを応援し人気の漫画には目もくれない人間だった。

皆さんは「フープメン」という漫画をご存知だろうか。

2009年に週刊少年ジャンプで連載していたバスケ漫画で、主人公はバスケ部に入部したアメリカ人生徒の通訳としてバスケ部にスカウトされ入部する…という漫画だ。

主人公は至って普通の人物で、バスケにもさほど興味がない。バスケ部の救世主などとしてスカウトされた主人公だが、要するに「超強い英語しか話せない選手の通訳」として「救世主」と称され、意気消沈してしまう。だが次第に通訳としての役目だけではなくバスケにも興味を持ち、努力していく…というストーリーで、かなり斬新で面白い導入の漫画であることが分かる。

 

だが、この漫画の連載時期を思い出してほしい。

 

この漫画は2009年、つまり週刊少年ジャンプで「黒子のバスケ」が連載されていた真っただ中に連載を開始したバスケ漫画なのである。*1

 

つまりフープメンはこれから黒子のバスケがどんどん頭角を現していこうとしている真っ最中に、あろうことか同じバスケ漫画として土俵を踏まされることになっていた。結末は皆さんすでにご存じの通りだろうが、フープメンは17話連載*2で打ち切られている。

 

フープメンの連載が始まった時、私は心の底からこう思った。

 

「あ~、黒子のバスケは残念だけど打ち切りだな。フープメンが面白すぎる」

 

結果は皆さんがすでにご存じの通りだ。黒子のバスケは「ちょっと人気だった」漫画どころではなく、既に日本のバスケ漫画の一柱を担う作品となった。

 

BOZE BEATSという漫画をご存知だろうか。

2018年7号から週刊少年ジャンプで連載された退魔モノアクション漫画だ。

2018年と聞いて、賢明な方はもうお気づきかもしれないがそのたった7週間後にあの「呪術廻戦」の連載が始まってしまった。どっちも大枠では退魔モノだ。

呪術廻戦を読んだ時の私の感想はこうだ。

 

「残念だけどBOZE BEATSがもうジャンプにいるからな。呪術廻戦は打ち切られちゃうだろうな」

 

週刊少年ジャンプはこういう残酷な生存競争をさせることがあるが、私はどの漫画を読んでも大体打ち切られるほうを応援している傾向にある。

 

ぼっけさんもダブルアーツも気が付いたら連載終了していたし、たくあんとバツの日常閻魔帳も終わっていたし、ノアズアーツも終了。

最近で言うとクーロンズ・ボール・パレードも連載終了してしまった。

 

私は漫画としては短命な道をたどることの多い漫画ばかりを好んで読んでいるのである。

これはどういう事かと言うと、私のセンサーが実に正確であることを表している。

私の感性は本当に信頼できるのである。

 

 

*1:この頃の黒子のバスケステーキ屋お好み焼き屋?)に行ったりする回だった記憶がある

*2:期間にして約4か月に満たない

嘘ばっか書くな

私が小学生だったのは一番古くてもう20年くらい前の話になって、もう当時の記憶もだいぶ薄れてきているのが分かる。

実家の自室には母が取っておいてくれた私のファイルやテスト、成績類なんかが残っていて、先日妹と一緒に、気まぐれにそれを開けてみた。

同じ小学校に通っていたので、そこそこ年が離れていてもカリキュラムがそんなに変わっていないのだろう。似たようなテーマの作文が何本かあり、運動会の思い出なんかが共通していた。

 

小学三年生・妹の作文「運動会の思い出」

運動会で、大玉ころがしをしました。

大玉ころがしをしているときはひっしになっていたので、まわりの人のおうえんはぜんぜんきこえませんでした。

けっか発表になりました。

「1い青組!2い黄組!3い赤組!」

黄組(2組)は2いでしたが、大玉ころがしが楽しかったのでまけてもくやしくありませんでした。

 

 

小学三年生・姉の作文「運動会の思い出」

運動会の前の日、ゆめをみました。

私のもっている、うさぎのぬいぐるみがしゃべったのです。

「〇〇ちゃんがね、がんばって1いになるゆめを見たよ」

わたしはそこでハッと目をさましました。ゆめをみていたのです。

しかし、ふしぎと本当にになる気がしたので、がんばりました。

 

 

妹は実話ベースの忠実な話が、姉の私は「夢を見た」「人生を見直すきっかけになった」などというクソほど薄っぺらい嘘ばっかの話が多かった。

思い返せば私は作文に美辞麗句はおろか、ファンタジーベースの嘘ばっかり書く子供だったかもしれない、というのを作文ファイルを見て思い出した。昔で言う「現実とフィクションの区別のつかない」奴だった可能性が高い。ひと昔前のサイトであればブラウザバックで回れ右をさせられている。

なんなら先生に嘘もかなり吐いていた気がする。

 

小4の夏休み、私にとって唯一の祖父であった母方の祖父が死んでそれはそれは悲しんだ。幼い私が泣き崩れる姿を見て泣き出す大人も居たほどだ。これはマジの部分だ。

一方で、祖父が死んだのは夏休みの前半部分で、後半になると寂しさこそ残っているが傷も癒え、手元には例年通りやっていない宿題だけが残った。(例年通りなのがミソでである)

母に例年通りそのことを打ち明けたところ「おじいちゃんが死んで悲しくてできませんでした」と言うのはどうかと提案され、私はそうすることにした。とっくに悲しみが癒えていたにも関わらずだ。

9月1日にそのことを担任へ打ち明けると、気まずそうな顔をして「じゃあ、出せそうなものだけを出してね」と言われた記憶がある。そういう嘘ばっか吐いていた子供だった。

 

例年であれば、烈火のごとく怒りだす母もその年だけは夕焼けを見つめて、どこか寂しそうに笑いながらそう提案していたことを思い出す。

私の母は結構なサイコパス気質なのだが、さすがに実父が死んで悲しいと感じていたのだろう。その年は、夏休みの宿題の件に限ってはまったく怒りもしなかったことを今でも覚えている。どのくらい私の母が寂しかったのかを推し量る証拠材料として、私たち姉妹がねだっても一向に飼う気配のなかったペットを一目惚れで購入したということがある。その年に飼われた犬は、今も我が家で楽しく暮らしている。

 

私はそういう母の長女として育ち、今はこうしてブログに嘘か本当か誰にも分からない話を綴っている。

母さん、嘘ばっか書いて娘は大きくなりました。

服しかないセカンドストリート

無職になって今まで以上に暇になってしまったので、いい機会なので散歩を趣味にすることにした。

音楽を聴き、寄り道しながら歩いていると2kmくらいはあっという間だ。

 

ふと思い立って、少しだけバスに乗って見知らぬ土地に降りて、そこから散歩をしてみることにした。

見たことのない民家、見たことのない店、地名が並んでいる。バス停の名前に至っては「なぜこんな名前を?」というものが多い。同じ市内なのに、バス停の名前はその地域のオリジナリティの濃いものが多いと思う。

 

バス停を降りて1kmくらい歩くと、セカンドストリートがあった。

電化製品からおもちゃ、服まで売っているリサイクルショップだ。私はリサイクルショップが好きだ。見たことのないものが売っていればワクワクするし、見たことあるものが変な値段で売っていれば面白くなる。手元にあるデバイスもなぜか一回価格を確認したくなる。

子供の頃にディズニーランドで買って貰ったおもちゃなんかに出会うと、電撃が走る。これ持ってた。冬のディズニーで、パレードを観ながら振った光る棒。

ただ無邪気に、〇十年後に無職のプー太郎になっていることを想像すらしなかったあの頃の楽しいディズニーの思い出がよみがえる。

 

ただ私がたどり着いたセカンドストリートは比較的規模が小さく、そんなに多くのものがなく10分程度で見終えてしまった。めぼしい収穫と言えば前の会社*1の備品整理の際にタダで貰ったAlexaが1000円で売っているのを見つけたくらいだ。

 

マップを見ると、さらにここから歩いたところにセカンドストリートがもう一軒あることに気付いた。そこまで足を延ばして、帰りは途中のファミレスでお茶でも飲んでから帰ることにしよう。

 

5月ともなると草木の生い茂り方が尋常ではなく、コンクリートが敷かれている比較的大きな道路沿いのくせに野道を歩かされている気分だった。

草がロングスカートから出ている足首をくすぐったので、いつ虫が足首に張り付いてもおかしくないと思うと恐怖で仕方なかったので、知らない野道と化した道を少し速足で駆け抜ける。

 

そこに服だけのセカンドストリートはあった。

店の敷地はさっきの店よりも広く、雰囲気も明るい。人もさっきのセカンドストリートより多い。

けどそこには服しかなかった。

服しかないセカンドストリートは、求めている出会いがないのだ。

ああ、セカンドストリート。どうか服以外も置いてあれ。

誰が一体いくらを受け取って売ったかわからない100均の商品が80円で売ってあれ。

2008年とかに売られたノートパソコンが生意気にも1万円超えの値段で売ってあれ。

これはメルカリならもっと安く買えるよ~と相談している夫婦の憩いの場所であれ。

日の暮れたころ、私は野道と化した道を引き返し、ファミレスで予定になかったポテトフライを食べて帰った。

 

*1:クビになったとこ

交際5周年を迎えたその日、仕事のクビが決まった

 

それは2月10日頃の話で、直属の上司から「お疲れ。今週でどこか時間取れる日程ある?」と突然ミーティングの時間を取ってほしいと連絡があった。

その時点で正直言って、いい予感はしていなかった。

新型コロナウイルスの流行により、会社の業績がガタ落ちしていたのだ。業務よりも待機している時間が増えたのは2020年の5月を過ぎたころで、むしろ今までよく働けていたなくらいの気持ちだった。

頭ではそう理解しつつも気分は断頭台を目の前にしているようで、連絡があったその日からミーティングの日まで気が気ではなかった。よりにもよって、ミーティングの日程は彼氏との交際5年目の記念日だった。

 

5年目記念日のその日、上司と他数人の同僚がZOOM画面に表示され、開口一番上司の口から出てきたのは「知っての通りだとは思うけど、業績が落ちています」だった。この時点ですべてを察した。要するに、私とほか数名の同僚はクビが決まったとのことだった。

予想通り過ぎて私は半笑いになりつつ意識が遠のきそうだった。わかっていてもキツいもんはキツい。

 

「ああはい、わかりました」

「退職日はいつに設定したらよいでしょう?」

 

同僚たちの声が聞こえる中、私は沈黙するほかなかった。

この不景気でクビか~と思うとうまく言葉が出なかったのである。

 

無慈悲なZOOM面談を終え、ほかのクビが決まった社員たちとチャットで軽く言葉を交わす。そして私は仕事中の彼氏に「仕事クビになっちゃった!」とつとめて明るくLINEを飛ばした。

 

仕事を終えた彼氏から電話があった。要するに就職してから精一杯走り抜けたのだから、しばらくはゆっくりするといい。とのことだった。

より悲劇的な結末を求めるのであれば、5周年記念日という節目の日に彼氏からもフラれるくらいがちょうどいいのだろうが*1私の神様はそこまで無慈悲ではなく、狂ってもいなかった。私が私を神の視点から見ていたのであれば、これ以上追い詰められたらどうなるのだろ~という気さくな気持ちできっと彼氏とも別れさせていたと思う。

当時はそれくらいの気持ちだった。

 

「仕事を辞めて、モンハンばかりしていた」という記述をインターネットの海で何度か見たことがある。仕事を辞めても別にモンハンばかりはしないだろう、と当時の私は思っていたのだが、どうも人は発売時期と仕事を辞めた時期が重複すると本当にモンハンばかりすることになるらしい。

退職日が近づいてきた折にモンスターハンターライズが発売されて、気乗りはしなかったものの離れて暮らす妹がプレイしているというので購入したところ恐ろしい勢いでHR*2が上がって行ってしまった。そのせいで家族にも無職がバレた。無職がバレたとなっては仕方ないのでどんどんモンハンに精を出した。どんどんHRが上がって行った。瑠璃原珠*3だけがぜんぜん出なかった。

 

 

ある日モンハンをしていてふと、いくら労働が嫌いだからと言ってもクビになるとヘコむんだな、と思った。そしてモンハンをしている間だけその何とも言えない脱力感から救われるのだ。

 

逆にTwitterとかで「退勤した!」というツイートを見ると「いいよな、退勤できる職場があって…」と思ってしまうのでダメだ。もう退勤できないので*4退勤した!と言うと嘘になっちゃうからである。

 

 

そんなに無慈悲でない私の神に感謝しつつ、ハンター業に精を出す日々を続けている。

 

 

 

 

 

 

*1:まったくそんなことはない

*2:レベルみたいなもの

*3:モンスターと戦うと貰えるレアな素材

*4:就職すればそんなことはない